日々の雑記

デザイナー。ざっくばらんに書きまする。https://linktr.ee/m.minako

どうしてもできないことはある

小学生の頃、「宿題しなさい」とか「忘れ物しないようにしなさい」とかこっぴどく言われてきたことがある。それをしなければ「立派な大人にならないよ」という話である。それを信じて大人になったが、夫と過ごすうちにそれは間違いだということを知った。夫とは学生の頃からの付き合いである。夫が高校生の頃、あの頃はまだあまりネットを使ってる人がいなかったが、それを使って人様の読書感想文を拝借して提出した。つまり人の作文を「パクった」のである。運悪く他のクラスの男の子が何故か同じ文章内容で感想文を提出しており、「交友関係もないクラスの学生が何故同じ文章の感想文なのか」というところから先生にバレ、めちゃくちゃ怒られた。今思い返してみれば学生の頃は「何してんだ」と思っていたが、未然に先生にバレたことはかなり運が良かったと思う。世に出る前に止めてもらえて本当に良かったと思う。そんな不真面目な学生だった夫だが、ちゃんと良い大学を出て、立派な社会人になった。それに引き換え、自分でまじめに読書感想文を書いていた私は、そんなに良い大学も出ていないし仕事だってパッとしないんだから、読書感想文なんて書かなくても良かったんだと思ったりする。

ところで子供の忘れ物が多い。小学校で始まった1人一台のタブレット端末。こんな旧時代のものかと思うほど重い機種の端末をこの前まで保育園通ってた子供に持って来たり持って帰ったりさせるんだから、日本の軍隊教育は未だに戦時中である。タブレット端末だけでこんなに重いんだから、教科書も電子化して、ランドセル無しでタブレット端末だけを持って来るようなしたら良いのに。その大事な大事な端末であるが、家に持って帰った後にまた学校に持って来いと言うのである。絶対忘れるに決まっている。「忘れないようにね」と前日に10回ほど言って、ランドセルの隣にピッタリつけて玄関に置いておいて、さらにダメ押しで「絶対忘れるから忘れたら言ってあげるんだよ」と夫に伝えておいた。その日は私が早く仕事に行かねばならぬ日で、もう一度念押しして会社に言ったのだが、夕方帰ってきたら玄関にタブレット端末があった。ズコーーー、である。

忘れ物をしても宿題をしなくても読書感想文を書かなくても立派な大人になれる。長女よ、君は大丈夫だよ。

星降る王国のニナ6巻

【ネタバレしません!】

やばーい!

アズールとセトどっちも好き!

ネタバレはしないけど、6巻は二人のイケメンに悩むニナちゃん回です。

選べないわぁぁぁ!

アズールとセトが全く性格の違うジャンルのイケメンだったらどっちか選べたのに、二人ともツンデレ系で、二人とも悲しい過去を持ってるって共通点が多すぎる。

もはや双子じゃん。

ツンデレのフルコース、ツンデレに弱い人は読んではいけいと思う。

ニナちゃんは果たしてどっちを選ぶのか。。。

みんな幸せになってほしいよぉ。

次の巻が待ち遠し過ぎる。

女の園の星

和山やまさんが描いた漫画『女の園の星』が面白い。

いや、ネタバレではない。ネタバレしない程度に感想を書く。

『極主夫道』とか最近、画力の高いギャグ漫画が増えてきたが、この漫画もそう、めちゃくちゃ画力が高い。表紙からは想像できないが、とにかく淡々と進むシュールな話に笑いが止まらない。あとなんと言うか「間」が独特だ。電車の中で読んではいけない漫画だ。あぁ、すばらしき画力の無駄遣い。

そもそも漫画界隈で女子高生ネタと言えば、男性ものを中心に女子高生を性(二児の母として書くのもおぞましい)の対象として描かれることが多い。しかし、本来は彼女達はまだ子供なのだ。この漫画では、知性の高い子供達が、ただただ楽しそうに学校生活を送る様子が描かれている。和山さんが描く子供達の表情一つ一つが豊かで、寡黙な先生とのやりとりはホームドラマを見ているようだ。ほんとうにくだらないけど、懐かしいし、こんな学生生活を送りたかったと羨ましくなる。あと、先生達の独特なキャラクターも奇抜過ぎず、「あー、いるよね。こういう先生」と身近に感じるのも推しポイントだ。自分の子供達も、彼女達のように素敵な先生に囲まれてのびのび幸せに育ってほしい、と、自分もいつのまにか先生の目線だ。

政治とか、コロナとか、自粛とか、天変地異とか大災害とか、きっとこの数年みんな心が疲れていると思うので、この漫画を読んで『ふふふふ』と笑って心を安らかにしてほしい。

日本人よ!健やかであれ!

#女の園の星

幸せに生きるために

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日本ではコロナでたくさんの方が亡くなったかと思うと、

50年に一度だなんて言われる大雨が各地で発生していろんな場所で街が流された。

世界に目を向けてみると、今度はいろんな国でクーデターが起こって大変なことになっている。

この直近数年の歴史を覚えなければいけない後世の若者に同情すら覚えるほどに

日本でも世界でもたくさんのことが起きたし、現在進行形で起きている。

後世の人は、コロナから始まったこの世界の混乱に何と名前をつけるだろうか。

 

ずいぶん長い間平和を享受していた私たちは

今自分が生きていることが奇跡だとか、とても恵まれているとか

そんな当たり前の幸福をやっと思い出すのだ。

そして、当たり前だと思っているから、失われることを過度に怖れ正しい判断ができなくなる。

正しい判断とは何かと言えばとても難しいが、そんな大それたものではなくて

自分基準の小さな物差しで測ったものだ。

普段自分が行っていることから大きく外れていないだろうかとか、

普段通りの自分の思考回路を使っているかどうかとか。

 

これから起こるかもしれないことに不安を抱くのではなく

今自分が生きていることに感謝をして、

可能な限り今を楽しんで生きたい。

 

現実逃避になるかもしれないが、

これも一種の防衛本能ではないかと思う。

大変な世の中だ。

少しでも幸せに生きるために心穏やかでありたい。

 

#コロナ #不安 #幸せに生きるために

続けることの難しさよ

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朝顔




このブログを開設してから、「ブログ」っぽいブログに挑戦したがやっぱり私には無理だ。

なぜかと言うと、まずは私に知識が足りないあんぽんたんだからだ。

あとやる気が足りない。

おまけに根性が足りない。

足りないづくしの私が続けるにはこつが必要だ。

まずは「続かなかった」と自分を責めないこと。

次に「1年おきでも5年続けば5年間書き続けたということになる」ということだ。最後のこれは一番大切なことだと思う。何事も「続けることのプロ」というのはいる。続けることというのは人生生きる上で一番簡単で一番大切なことだと思う。しかし、これがなかなかに一番難しいことなのだ。なので、「嫌なら止める、逃げる」をモットーにとりあえず寝かせてみるのが良かろうと思う。とりあえず寝かすが、消さないことだ。一年ぶりにブログを開いてみたら何か書きたいことでも思い浮かぶかもしれない。

続けるためには動機付けが大切だ、なんて言うけれど、そもそも動機なんて無い人が多いのではないのだろうか。そんな時は1年寝かせてみればいい。それでもだめなら2年寝かせれば良い。そして自分を責めないことだ。ブログなんて書かなくても人生そんなに損をしないから必要がない。必要がないものを書かなかったからと自分を責めるのは、なんか損だ。

 

とこんな感じに適当に生きることにした。

ところで仕事ではデザインをやっているのだが、ありがたいことに仕事だから続けることができた。私は美大も出ていなければ専門学校も出ていない。都会の専門学校はほんとうにすごいらしいが、私は田舎の大学だったものだからダブルスクールという言葉さえ知らなかった。都会だったら大学に通いながら専門学校に通うこともできたはずだ、が、そんなことを言っても仕方がない。仕事をしながらなんとか勉強して、デザインを覚えることができた。とりあえず、その環境にいることで強制的に続けることができるというのは、とてもすばらしいことだ。楽して「続ける」ことができるのだ。

あと、最近ブログを続けてみたいなぁと思った「動機付け」においては、仕事で文章を書くことが増えてきたからだ。とりあえず練習で続けることができたら幸いだ。

「1年おきでも5年続けば5年間書き続けたということになる」。たまにはmixiでも開いて一言日記を書いてみるのも良いかもしれない。10年ぶりでも、10年続けた、なんてことにしてもよい。ようは気持ちの持ちようだ。

 

ゴーストハントが好き過ぎて

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小説


子供の頃好きだった漫画は何だっただろうか。

私はリボンっこで赤ずきんチャチャがめちゃくちゃ好きだった。

姉妹で漫画雑誌を買い、私はリボンで姉はなかよしだった。

二人で漫画を交換しながら楽しんでいた。

そして姉が購入していた漫画の中に「ゴーストハント」というホラーの漫画があった。

当時は中学生で「赤ずきんチャチャ」なんてほんわか系を読んでいたピヨピヨには、もうめちゃくちゃ怖くて、お化けの出てくるシーンなんて開いてしまった日には夜も寝れないほどだった。でもこの漫画が憎い。とてつもなく顔の良くて頭がめちゃくちゃ良いのに性格が最悪な『ナル』という男の子が登場する。ポーカーフェイスの癖にさりげなく主人公の『麻衣』を守ったりして、その度に「きゃーー!!」なんて、乙女心を鷲掴みにされた。お化けが怖くて怖くて仕方がないのに、ナルと麻衣の先行きが気になってついつい読んでしまうのだ。よくある少女漫画みたいに、かっこいいけど性格の悪い男の子が女主人公の心根の優しさに触れてデレる、、、みたいな甘い展開を期待して、怖いのを我慢して我慢して読んでいたのに、結局ナルは最後までデレず!!登場するお化けが怖すぎて、夜中に部屋に出たどうしようなどと本気で心配して、ぼーさんの『対魔法』まで暗記してまで頑張って漫画読んだのに、なんて仕打ち。まじでもう、オンキリキリバザラウンハッタ!!!

で、高校の頃には漫画に原作があることに気づいたのだが当時は小説が絶版になっており、小説を読むことが叶わず。本屋にも問い合わせをして調べてもらったがやっぱり絶版で、当時はヤフオクとかも無く、田舎の小娘には入手する手段もなくすっかり忘れて大人になってしまった。そう、私は大人になってしまったのだった。

しかし、最近、見つけてしまった。復刻版の文庫本!!そもそも、漫画読んでいる時に気づかなかったが原作は、大好きな『十二国記』の作者と同じ、『小野不由美』さんが書かれていたとは!まじか。まじなのか。大人になってやっと気づくことって多いな。

7巻一気に買って一気に読んでしまった。

いやぁぁぁぁ、まじでなんなの

まじでなんなの

なんなの。。。。

ナルがカッコ良過ぎる。

特に4巻の327ページがやばい。なんなの、麻衣のことちゃんと守ってんじゃん。好き、、って妄想が膨らむのだが、結局7巻まで読み進めると、ナルと麻衣がちゃんと絡む?のって4巻くらいなんだよね。10代のピュアな妄想は破れたり。。でもほんとこの小説ってホラーとか恋愛っていうより推理小説として面白かったり、登場人物のキャラの書き分けが素晴らしかったり、言葉の掛け合いとか、ほんとに楽しい。さすが『十二国記』の先生。ナルはやっぱり最後まであの性格を貫き通していて、やっぱりこのキャラは崩れたらダメだよねーっと大人になった私が叫ぶ。少女の期待を裏切られたのだが、今思うとナルの性格を考えたらデレる訳ないよね!!!というか、原作を読むと、そもそもナルと舞衣の恋愛を軸に描いた小説ではなかったという事実に打ちのめされる。それに番外編の「悪夢の棲む家」読むと、やっぱり麻衣はユージーン一筋でそもそもナルとの恋愛すら始まっていなかったという、、。でも妄想は自由だからナルと麻衣は私の中で永遠のカップルなのだ、これは譲れない。

こうやって、子供の頃の作品の原作を読んで理解を深めたり、いろいろ原作の作者の別の作品を読めたり、あぁ、本当に大人になって良かったなぁと思うのだ。

#ゴーストハント

#小野不由美

#好きな漫画

#好きな小説

めだかの話①

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楊貴妃メダカ

夏になるとメダカを飼いたくなる。なぜだろうか。冬ではなく夏なのである。確かにメダカの繁殖期は4〜9月と言われているが、果物のように毎年獲って食べるものでもないし、今の時代冬だってちゃんと養殖されたメダカがペットショップ売っている。春夏秋冬メダカに会える素晴らしい時代である。それなのに夏、なのだ。思いおこせば子供時代。夏になれば目の前の川に虫網を持って遊びに行っていた。あの時代は川がきれいで、網をひとすくいするだけで、テレビで見る魚の底引き網漁法のようにわんさかメダカが獲れた。幼い頃はメダカなんて興味がなかったから、「なんか小さな魚がたくさん獲れた」くらいの感想しかなかったが、今ではペットショップでメダカを見るとつい時間を忘れて見入ってしまうのだ。私の夏の遺伝子には確かにメダカがいるようだ。

昨年は発泡スチロール製のブランターのようなものを買って、ベランダに設置。そこで飼育してみたが、上手くいかなかった。数日ごとに少しずつメダカの数が減っているようなのだ。ぶくぶくをつけたりなんだり工夫をしたのだが、秋に入る頃にはいつのまにかメダカがプランターからいなくなっている。忽然とメダカが消えているのだ。夏の七不思議である。いつかメダカを幸せにしたいと思って冬を越し春になりとうとうまた夏になった。コロナも2年目で、今年も夏祭りの金魚すくいはできそうにない。そうするとやっぱりメダカ欲に拍車がかかる。会社でパソコンをしていても気を抜けばメダカの水槽など探してしまい、とうとうインターネットの広告に勝手にメダカの水槽やメダカが出てくるようになってしまった。こんなに広告が出たら仕事をサボってメダカを探していることがバレてしまうではないか。

ところで、都合良く、会社の近くに幻のメダカ屋がある。年中無人販売所の骨組みはあるのだが、なかなか実際に売っている場面に遭遇することができない幻のメダカ屋だ。買いたい買いたいと何度も足を運んでいたのだがなかなかメダカに会うことができなかったのだが、この前とうとうメダカに会うことができた。とても幸運である。緑の大きなタライに、色とりどりのメダカが気持ち良さそうに泳いでおり、自分で好きなメダカをすくうという、セルフ金魚すくい方式である。珍しい赤いメダカを狙って何度も網を入れるのだがメダカの方が数倍早い。無理にすくおうとするとメダカを傷付けてしまいそうで、こっちもおっかなびっくりやっているので、ますます逃げる。狙っていない黒いメダカが入ってしまったが、これもご縁だ。大切に育てさせてもらおう。何度かチャレンジして、4匹お迎えすることができたので満足である。自宅に帰って、昨年のメダカセットにメダカを放つ。気持ち良さそうに泳いでいるのを見るととても幸せな気持ちになる。

 

今度こそ君たちを幸せにするよ。そう私は誓ったのだった。

 

#メダカ